私たちは見聞きした世界を万能ではない言葉を使い、それぞれが違う定義や比較と区分を土台としたバーチャルな世界を脳内に創り上げています。
よって私の『この体』『この感覚』『この想い』『この意思』『この判断/知識/認識』のすべてが『世界のすべてと繋がり合い、移り変わりゆくもの』であると、私が理解した時、私の脳や心で起こっている精神的な苦悩は消え去っていくのです。
―というのも、
『この体』の普遍的な性質は『繋がり合い移り変わりゆくもの』と変わらないし、『繋がり合い移り変わりゆくもの』の性質も『この体』と変わりません。
このことは『この感覚』『この想い』『この意思』『この判断/知識/認識』も同じです。
この世界のすべては私たちの言葉で定義され『繋がり合い移り変わりゆくもの』であるため、生じることも消えることもなく、きれいになったり汚れたりすることもなく、増えたり減ったりすることもないのです。
だから『繋がり合い移り変わりゆくもの』の世界には、『私の体』『この感覚』『この想い』『この意思』『この判断/知識/認識』というものはありません。
私の眼・耳・鼻・舌・身・心という言葉の定義も成り立ちません。
私が感じる色・声・香り・味・感触・法則もありません。
私が眼で見る世界、感じる世界も普遍的なものではありません。
しかしそうであるからと言って、私の肉体や日常がある限り、迷いが無くなったり、また私の迷いが尽きるということはありません。
老いや死が無くなったり、また私の老いや死が無くなるということもありません。
この世界に真理を見極める極意など無く、私がその極意を得ることも無いのです。
また、私が何かを会得(えとく)するということも無いのです。
つまり私の心から、これらに関するしこりを無くすことさえできれば、私の恐れは消え去るということです。
そして私が、すべての邪見や偏見から離れることができれば、私は心の静寂を手に入れることができる
と、私が考えるからです。

“水の循環" from 『いらすとや』
川から海に水が流れ蒸発して雲になり雨が山に降る、自然の中を水が循環している様子を描いたイラストです